野崎さんの黄綬褒章受賞と城崎温泉街の火災復興。

こんにちは。

フレンチトーストって、こんなだっけ?

ハイクラスホテルでこれを食べたの、久しぶりだったので、ちょっと忘れていました。

バターはやめておきましたけど、カリッとふわっと、で美味しかったです^^


今日、ホテルオークラ神戸で、野崎隆一さん(神戸まちづくり研究所&建築設計事務所・遊空間工房)の黄綬褒章受賞のお祝いがありました。

受賞は、阪神淡路大震災や東日本大震災などの復興支援への貢献が評価されてのこと。

こんなに身近なところで、「勲章」をもらわれた方は初めてですので、とても嬉しいものでした。


まもなく迎える1月17日。

阪神淡路大震災は、俗に「ボランティア・NPO元年」などと言われることがあります。

野崎さんと私は、神戸の震災復興の過程で、NPO法人を運営する組織に携わっていたため、兵庫県のNPOセクターが集まる会合や組織でお知り合いになりました。不動産と建築に近いところでお仕事をされてきたキャリアもあって、福祉的なNPOが多い中、地域活性化を目的にした非営利法人にも関心を示してくださり、私によく声をかけていただいていました。ただ、6年ほど前に私は完全フリーになり、神戸のNPO関連のところからは遠ざかっていましたので、ご無沙汰をしてました。


その後、城崎温泉のまち再生に携わる中で、3年前に温泉街の中心で約3000平米の火災等の被害に直面。「火事」という、公的支援が受けにくいために襲ってくる課題を想像できただけに、いくら地元の方々から「古田くん、他の仕事を断ってでも、支援を頼む」と言われても、ちょっと私だけでは手に負えないな、と思って、すぐ相談に行ったのが、野崎さんでした。


このような仕事をしていて、他にも都市計画やまちづくりの専門家は知っていたのですが、どうして野崎さんにお願いしようと思ったか。


建築を専門職とする方は、どうしても先に絵を書きたがるし、行政からの請負を主な業務とする専門家(コンサル等)は制度を使うことを前提にする傾向がある、学者の先生は、生活や生業のことを踏まえた方針へのこだわりが乏しいし実務が進まない、などなどと、どうしようもなく悩んでて。


このあと至近に起こるであろう重い権利関係や金銭問題のこと、被災した方々の置かれている状況、歴史ある観光地であるまちの先々のこととのバランスを考えた時に、私が知っている範囲では、一緒に復旧・復興の下支えができると思える人が、野崎さん以外に思いつかなかった。その時のことを一言で言えば、「災害の復旧・復興には、技術以上に重要なこと=現場の意見によく耳を傾けてくれて、現地現場と信頼関係を作ることができる人」は他にはいない、と思って、必死の思いで直談判へ。1日も早く、と思って、東北からの帰りを伊丹空港で捕まえて、家まで車で送ります、とか行って、途中のマクドナルドで平にお願いしたなぁ、と、しみじみと思い出していました。


その、城崎温泉街・喜多町地区の火災復興は、関係者の奮闘もあって通常では考えられない速さで、観光客には火事があった場所とはわからない町並みを既に取り戻しました。でも、全体のプロセスに関わり、裏側の状況までわかっている我々にとってはまだ道半ば。「これで引退するわけでも、なんでもありません」と挨拶されていた野崎さんとは、まだこの件でも、ご一緒しなければなりません。


心がけているという、「闘うけれども、争わず。」という野崎さんのモットーを、私も見習おう。そう心に刻んで仕事をしていきたいな、と思ったお祝いの会でした。



0コメント

  • 1000 / 1000